日本でAI失業はおこるのか?
日経に掲載されていた「AI失業」についてのアンケートです。
日本の失業率への影響を問うと「押し上げない」との見方が38%で「押し上げる」(10%)を上回った。
大企業の経営層や、いわゆる有識者と呼ばれる人たちは、こぞってホワイトカラーのいわゆる単純事務仕事はなくなると連呼します。
新聞やネット上でAI失業という単語を見ない日はありません。
でも現場は気付いていました。
頭のいい人たちは、AはBするとCになるというD法則があれば、A'にも応用します。
しかしながら、現場はなぜかそういう理論的とは違う何で動いていることしばしばあります。
例えば、
A'案件なのになぜか別のE法則を使っちゃってめちゃくちゃ
そもそもA'案件だと気が付かず、新たに考えてF法則を作り出すが、全く法則として成り立っていない
みたいなことが平気で起こります。
頭のいい人やAIには想像だにつかない不思議な世界です。
そういう予測不可能の生々しいドロドロした現場を、現状のAIで整えることは逆にコストになります。
AIが進化すればできるようになるのか?
中小企業の資金力と費用対効果を考えましょう。
以上。
てな感じで、私はAI失業しないだろうけど、非理論的なドロドロした現場の思考停止した人たちとこれ以上一緒にいるのも苦痛以外の何者でもなく、心が荒んでいくのを感じる今日この頃です。
AIバブルのゆくえ
最近、どこを見ても「AIがホワイトカラーを駆逐する!」という煽り文句がはびこってるのはご存知の通りです。私も煽られてる1人で、どうすればAI時代に士業として生き残れるか悩む日々です。
しかし、ここ数日の市場の動きを見て、風向きが変わるかもしれない気がして来ています。
AIが人間をクビにするより先に、「AIにお金をつぎ込みすぎて、企業の方が息切れする」のが先なんじゃないかな、と。
AIさんご本人によると、今のAIブーム、2000年頃のITバブルにそっくりなようです。
当時は「これからはネットだ!」とみんなが熱狂して、中身のない会社にまで巨額のお金が流れ込みました。でも結局、「思ったより儲からないぞ?」とみんなが気づいてバブルは崩壊。
今のAIも、性能をちょっと上げるために、天文学的な電気代とチップ代がかかっています。まさに「金食い虫」。中小企業零細企業でも「人間雇うよりAIの方が安いじゃん!」って本気で思えるようになるまでには、もう一波乱あるはずです。
ITバブルが弾けた後、ネットはどうなったか? 消えるどころか、通信費が安くなって、みんなが当たり前に使う「空気」みたいな存在になりました。ネット黎明期は定額料金じゃなくて1分いくらみたいな料金体系だったの覚えてますか?子どもの頃にネット黎明期だった世代は、親に時間制限されてたんじゃないでしょうか(笑)
AIもきっと同じ。
一度、投資の熱が冷めて、技術が「普通のもの」として使いやすくなったとき。そこからがAIの本当の仕事だと思います。
そうやってAIが「お手頃なツール」になった頃、日本はもっと深刻な人手不足になっています。
「AIに仕事を奪われる」なんて怯える必要はないんです。人手が足りなくて回らない会社は、安くなったAIに「助っ人」として埋めてもらえばよい。
「クビ切り」じゃなくて「穴埋め」。
うまくいけば「ちょうどいい未来」になるかもしれません。
だから私は、今日も「STAY」
世間が「乗り遅れるな!」と騒いでいる間、私はあえて慌ててAIブームに踊らされない「STAY」の姿勢でいようかなと。
…なんてことばかり考えているから、映画を観ても、小説を読んでも、「所詮は作り話。虚構で人の心をコントロールされてたまるか」と、意図的な感動の演出に興ざめしてしまう。
結果、誰とも話が合わず、会社でも見事に浮く。
周りはアイドルやドラマに熱中しているようだが、私の推しは経済ジャーナリストだ。
それが何か?
成長のスイッチを押すのは誰?
自分から成長したい!と思える時は、
自分から手を挙げて新しい仕事や難しい仕事にチャレンジし、
給料上がらなくても好きでやってるからそこまで不満もないのよね。
でもね、
成長しろ!
成果を出せ!
と圧力かけられると、やる気が失せるのです。
なぜなら、やる気搾取、やりがい搾取する会社は、
成果主義とか実力主義とか謳いながら、成果を見える化する仕組みがなかったり、成果を上げても昇給する仕組みが機能していないのですよ!
令和の高度成長みたいな幻想に侵されて
あの頃はよかった
あの頃と同じことをすれば活力ある日本を取り戻せる
と心のどこかにあるのではないかと思ってしまいます。
現役世代のほとんどは、高度成長期はただの歴史の上の出来事の人たちです。
彼らのOSは『昭和2.0』で止まっている。
私たちは『令和5.0』にアップデート済み。
古いソフトを無理やりインストールしようとすれば、近いうちにシステムがクラッシュするでしょう。
新しい資本主義の方がまだ馴染める。
私のスイッチを、政治家や経営者に弄らせるつもりはありません。
「日本を強くする」という高らかな叫びを聞くたび、私の成長スイッチのつまみは、静かに音も立てずにOFFへと近づいていくのでした。
裁量労働制の「理想」と「落とし穴」――月曜頑張ればあとは休み?
裁量労働制について、朝の報道番組で「月曜10時間働けば、残りは全休でも週40時間労働とみなされる」という解説がありました。裁量労働制とはそういう制度だったでしょうか?
1. 「魔法の制度」ではない現実
裁量労働制は「働いた日」にみなし時間を適用する制度です。
- 休むには手続きが必要: 働かない日は「欠勤」か「有給」扱い。勝手に「みなし」で休みにはできません。
- 仕事量の壁: 現実は「8時間で終わる仕事」ではなく、「定額で終わるまでやる」ノルマになりがちです。
2. 本来は「専門職」のためのカタチ
本来、この制度は研究者やクリエイターなど、時間の切り売りが馴染まない職種のためのものです。
- 成果こそが価値: 10時間悩むより、5分のひらめきが勝る世界。
- 脱・時間管理: 1分単位の管理から解放され、自律的に没頭できるのが最大のメリットです。
■ なぜ今、裁量労働制の拡大なのか?
政府が掲げる「働きたい人がもっと働ける環境」の狙いは、労働時間の上限規制を柔軟にし、個人の意欲や専門性を「稼ぐ力」に直結させることにあります。時間の制約を外すことで、プロフェッショナルがパフォーマンスを最大化し、日本の競争力を上げるというシナリオです。
しかし、ここで矛盾が生じます。裁量労働制は「残業代が出ない」のが大原則。 「もっと働いて稼ぎたい」というニーズに対し、残業代という「時間の対価」を支払わずに済む仕組みを広げるのは、解決策として噛み合っていません。
■ まとめ:私たちが選ぶべき「自由」
「時間の切り売り」から脱却し、専門性を発揮して自律的に働く。それは本来、研究者やクリエイターが理想とする働き方です。
しかし、その「自由」が、単に企業がコストを気にせず長時間労働を可能にするための「隠れ蓑」になっては本末転倒です。
もっと稼ぎたい派の人たちが求めているのは、「際限なく働ける自由」なのでしょうか。それとも、「成果に見合った正当な対価を得る自由」なのでしょうか。
新政権が目指す「働き方改革」の真価は、その「裁量」の中に、労働者を守るための確かな対価が含まれているかどうかで決まるはずです。